本連載は、「存知のごとくたすけがたければ」という親鸞の言葉から始まった。

 古来、人々は、思い通りに助けられない現実に対して、たとえば、悟りとも浄土とも呼ばれる嘆きのない世界を描いた。ここでは、そうした至高の価値が付与された何かを、とりあえず<善きこと>と名付けた。

 最後に、あらためて<善きこと>の出自を確認しておきたい。


■目覚めのとき

 「思い通りにならないこと」に対し、これを「苦」と位置づけたのは、ゴータマ・ブッダ(以下ブッダ)であった(中村元『原始仏教の思想Ⅰ』)。

 このとき、苦をなくす方途は二つ考えられる。一つは、現実を思い通りにすることである。とはいえ、何かが思い通りになったとしても、さらなる思いが生じるため、とどまるところがない。私たちは、こうした際限のなさを生きている。

 もう一つは、思いを断つことである。語義上、何も思わなければ、苦が生まれることはない。ブッダは、この方向に歩みを進め、その名の通り「目覚めた人」となった。

 悟りの内実をここに説明する力量はない。ただ、それが思いを断つことの延長線上にあるのだとすれば、たとえばかつて「仏の教え給う趣は、ことに触れて、執心なかれとなり」(『方丈記』)とも説かれたように、少なくとも、とらわれのない状態、すなわち、「無執着」の側面を有するであろうとは推察できる。

 修行の段階では、いまだ「とらわれをなくす」ことにとらわれているのだが、機が熟すとき「とらわれをなくす」必要もない無執着の世界が開かれる。悟りとも、解脱とも呼ばれるこの境地においては、「思い」がなく、したがって、苦もまたない。

 本連載では、この世界を早計にも<善きこと>と呼んだ。だが、あらためて考えてみれば、とらわれのない世界では、たしかに苦は消滅するであろうが、同時に生きる意味も失われる。無執着の世界は平板化しており、そもそも<善きこと>や<悪しきこと>の区別を立てることもできない(宮元啓一『ブッダが考えたこと』)。

 晩年、ブッダが弟子たちに語ったところによると、悟りを開いたときには、繰り返し悪魔が近寄ってきて「今こそ尊氏(=ブッダ)のお亡くなりになるべき時です」と告げたとのことである(『ブッダ最後の旅』中村元訳)。

 悟りの境地もまた、苦を滅したこと以上に何か積極的な意味をもつわけではない。<善きこと>には、開眼とは別の契機も必要であった。


■梵天勧請

 目覚めた人となったブッダは、苦を滅するとともに生の意味も失った。とはいえ、あえて死する理由もない。そこで、悟った直後の彼が行ったのは、解脱の楽しみを味わう三昧に入ることであった(中村元『ゴータマ・ブッダⅠ』)。

 悟りの内実にかかわらず、悟ること自体は、無執着の実現に沿っているため、三昧も外在的な目的をもつことはなく、三昧のための三昧といった自己完結状態になる。

 このことに危機感を抱いたのが宇宙の最高神たる梵天であった。「梵天勧請」と呼ばれる伝承によると、三昧の自閉的状態を恐れた梵天は、ブッダの前に現れ、合掌・敬礼して呼びかけた。「教え(真理)をお説きください」と。ブッダは、しばし躊躇したものの、ついには応じた。それによって「甘露(不死)の門は開かれた」と古い経典は伝える(『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳)。

 それは、呼びかけられるという受動性を通じて、彼に「他者の自覚」が生まれた瞬間でもあった(丘山新『菩薩の願い』)。

 同様に、一遍に長く同行した真教は、一遍の没後、生きる意味が失せたと食を断ち、ただ死を待っていた。ところが、そこへ当地の領主が訪れ、念仏札を授けてほしいと懇願した。真教は、一旦固辞したものの、ついには願いを受け入れ、そこから時宗が開かれた(『遊行上人縁起絵』巻五)。

 このように、水面のごとく平板化した世界においても、他者の声によって波の立つことがある。閉じようとする動きに対して、どこからか開く力が現れる。

 そして、応答によって世界が開かれたときには、他なる者たちの苦しみが目に入り、「無量の慈しみの意」(『ブッダのことば』中村元訳)としての「慈悲」が生じることもある。慈悲の含意は甚深微妙だが(中村元『慈悲』)、少なくとも、他者の苦を見据える眼差しとともに生まれたことはたしかである。


■奇跡の応答

 ただし、一度波立った水面も、そのままでは、いずれ静まる。ブッダが躊躇したように、真教が固辞したように、呼びかけは、聞き捨てられ、ノイズとして消えていく可能性を有す。もともと無執着でもある悟りには、「教えを説くべし」との指令など含まれてはいないからである。すなわち、悟りと慈悲との間には何の因果関係もない(末木文美士『仏教vs.倫理』)。

 実際、仏典は、帝釈天に説法を勧請されても応じることなく、生涯沈黙を保ち続けた尊者婆拘慮のことを伝えている(『増一阿含経』巻第一三)。

 また、ブッダの応答には、理由というものも見出せない。というのも、たとえば、Aを理由に応答したとすれば、非Aには応答しないことになるが、彼は、A/非Aが不二である世界を味わっていたのであり、そこでは、理由という概念が成立しないからである。

 ということは、極言すると、応答は偶然であり、慈悲は恣意でしかないということになる。

 おそらく、ブッダの前にも後にも、完結した悟りの世界に自閉した数知れぬ沈黙があった。そんな中でのブッダの応答は、必然性も根拠もないからこそ、ただ奇跡というよりほかないものであった。だから人々は、そこに至高の価値を認め、梵天なるものを登場させてまでも言祝いだ。

 そして、この応答によって、一度は滅し去った苦が蘇る。伝えるべき何かを認めれば、同時に、それが伝わらないこと、すなわち、思い通りにならないこともまた復活する。他者の苦を見据える慈悲は、自らの苦をも生み出す。ブッダは、そのことを知悉していた。しかし、彼は、呼びかけに応え、再び自らを苦海に沈めた。

 応答することは、振り出しに戻ることでもある。だが、目覚める前とは、ある一点で決定的に異なっている。目覚めた人は、いかなる苦も消滅させることができるということを体験した。現実には、人が生きる限り、苦を完全になくすことはできない。にもかかわらず、いかなる苦も、本来は、滅することができるものとしてある。再び歩み始めたブッダには、その確信があった。その揺るぎなさに、人々は深く魅了された。


■援助の実際

 <善きこと>をめぐって、三つのことが浮き彫りになった。

 一つは、思い通りにならないという苦を滅した無執着の世界があり、ブッダはそれを体験したということ。二つめは、自己完結している悟りの世界を開こうとする呼びかけがあり、ブッダはそれに応答したということ。三つめは、無執着と応答との間には、何の必然性もないということであった。

 単に苦を滅しただけであれば、世界は平板化するにとどまる。また、他者を慈しむだけでは、早晩ニヒリズムに呑み込まれる。思い通りに助けることはできないのであるから。すなわち、<善きこと>は、いかなる苦も滅することができるという確信と、他者の苦を見据える慈悲という二つの独立した原理から成り立っている。もともと世界は、一つの原理だけで動き続けることができないのであった。

 ここで、取り急ぎ、援助を振り返ってみると、援助もまた、他者の抱える苦しみの除去を目指すものであるから、それが慈悲の動きに沿っていることはまちがいない。

 とはいえ、実際、援助の多くは、程度の差はあれ手間がかかり、かつ、かけた手間に応じて結果が保証されるわけでもない。極端に言えば、全き善意が邪悪なるものを呼び出すことも、さらなる苦を生み出すこともある。

 そのため、人は、報われない援助を敬して遠ざけ、他に任せてしまおうとする。それに対して、もはや、べき論や美談の効力には期待できない。そのため、援助を任された担い手たちは、寄る辺なきままに自問と自責を繰り返し、現場から離脱していくことも少なくはない。

 もともと<善きこと>は、苦滅の確信と慈悲の動きから成り立っていた。そして、実際の援助は、慈悲の動きに沿っていた。であれば、もし、援助に苦滅についての確信を加えることができるなら、先を見通すこともできないままに徒労感を募らせるようなこともなくなるはずである。

 しかし、言うまでもなく、私たちが苦滅を確信することなどできるはずもない。


■アディクトたちの祈り

 二〇世紀の前半、アメリカの神学者ラインホールド・ニーバー(一八九二-一九七一)がある祈りを自作した(大木英夫『終末論的考察』)。日本で流布している訳文は、次の通り。

 「神様、私にお与えください 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを 変えられるものは、変えてゆく勇気を そして、二つのものを見わける賢さを」(『AAミーティングハンドブック』)

 これは、「平安の祈り」と呼ばれ、アルコール依存症などのアディクション(嗜癖)に陥った人たちが集うミーティングで唱えられている。

 この社会において、変えられないものと変えられるものとを見分けることは、決して容易ではない。というのも、時代は、すべてを変えることができ、そして、変え続けなければならないというメッセージに覆われているからである。

 アディクト(嗜癖者)とは、このメッセージに死の寸前まで追いつめられた人々をいう。彼ら彼女らは、ありのままを受け入れられず、変えられないものを変えようとして命を削り、一切を失い、底をついて、この祈りにたどり着いた。両者を見分けることの絶望的な困難さを知り抜いた人々である。

 そんなアディクトたちが、変えることのできない現実と向き合い、己の無力さを認めたとき、祈りだけはできることに気が付いた。というより、祈りしか残されてはいなかった。そこで、助けを求めて祈り、仲間とともに祈り、それだけではなく、まだ苦しむ仲間の回復を手助けしたいと祈るようにもなった。

 というのも、「ソブラエティ(飲まないで生きること)という貴重な贈り物は、それを(他人に)与えていかない限り自分(一人で)で保ち続けるのは難しい」という「偉大な逆説」(AA『12のステップと12の伝統』)を痛感したからである。アディクトとは、他人のために祈ることによって生き延びることのできた人たちでもあった。


■<善きこと>の故郷

 苦しむ人がいる。その人を前にして、私たちは、見限って立ち去ることも、さらには追討ちをかけることもできる。と同時に、そのかたわらに踏みとどまり、呻吟にも似た祈りを口にすることもまたできる。

 もちろん、祈りが何かを変えるわけではない。しかし、たとえ、なすすべもなく、ただ敗北を迎えるしかないにせよ、なお、かたわらにとどまることで、その人に「見捨られはしなかった」との思いが贈られる可能性は残る。

 現実に対する敗北は、思い通りにならない苦の帰結として、そこかしこで私たちを待ち受ける。人は、意味もなく理由もなく、ただ苦を抱え、ただ敗北する。だからこそ、人々は、<善きこと>を痛切に希求した。だが、<善きこと>が手近にあったわけではない。

 そのため、人々は、古来より、彼方の<善きこと>を遙拝しながら、目前の敗北を見据え、その上で、自らがなし得ることを問い、試し、模索し続けた。かたわらにとどまることはできた。祈ることもできた。そうした「できたこと」の積み重ねが、「実践としての援助」を作り上げてきた。それは、石を養うのにも似た遅々とした歩みであった。

 私たちは、その果てにいて、始原などすでに忘れ去っているのだが、もともとは、敗北が<善きこと>という「幻想」を生み育てた故郷であった。援助とは、人々が敗北と向き合うための作法だったのである。


 もはや時代は勝利にしか目を向けないが、始原のことは、今一度思い返されてもよい。敗北が見えなくなれば、<善きこと>もまた消えていくのだから。