熊野権現の夢告を経由して一遍が得たのは、信/不信や浄/不浄といった二項対立に無効を告げる不二の思想であった。しかし、その思想が拓くのは、善/悪の区別も消失し、どこまでも平板化された荒涼たる世界でしかなかった。

 そして、ドストエフスキーが繰り返し描いたのは、そうした不毛の地で人が生きていくことの悲惨さであった。だからこそイワンの語る大審問官は、異端というものを人々に示さざるをえなかった。それは、許しの光で隅々まで照らし出された真っ白な世界において、人々が憩う日陰を生み出すのにも似た作業であった。

 ドストエフスキーは、一八八〇年一一月に『カラマーゾフの兄弟』のエピローグまでを書き上げ、翌八一年一月に急死する。享年五九。そして、同年八月、遠くスイス東部の湖畔を散策中、ある思想の到来を自覚し、その内容を紙切れに走り書きしたのがニーチェである。その思想は、永遠回帰と呼ばれることになる。


■「何ものも真ではない」

 ドストエフスキーがイワンに語らせたのは、「神がなければ」という条件下ですべてが許されるとする無神論であった。これは、逆説的に、その破綻を通じて有神論を招来するための思想であったともいえる。これに対してニーチェは、もともと神の死を前提としているため、彼の場合、際限のない許しは、神が不在ならばといった条件ではなく、その理由と共に告げられる。

 すなわち、「何ものも真ではない、一切は許されている」(『道徳の系譜』第三論文、信太正三訳)、あるいは、「すべてのものは偽である、すべてのものは許されている」(『権力への意志』断片六〇二、原佑訳、以下断片番号のみ記す)と。

 「何ものも真ではない」もしくは「すべては偽である」を命題Aと呼ぶとき、自己言及性を視野に入れれば、嘘つきのパラドックスと同じく、命題Aそのものの真偽を確定することは論理的にできない。命題Aが真ならば、命題Aを含む「すべて」は偽となり、逆に、命題Aが偽であれば、「すべて」が真となるからである。ニーチェにとって、一切が許されているのは、真/偽の成立そのものが無効になっている状況においてであった。

 そして、彼は、いかなる真理もないということを端的に「ニヒリズム」と呼ぶ(一三)。ニヒリズムとは、至高の諸価値がその価値を剥奪され、目標や理由というものが欠けていることを意味する(二)。そのため、ニヒリズムがはびこる空間では、すべてのふるまいがなぜ行われるのかという理由もわからぬままに価値を失い、あらゆる生が目指すべき目的も見つけられずに無意味へと堕する。

 ニーチェによれば、こうした生の無意味さを前に、何も信じられないと絶望し、どうすればいいのかわからないと憔悴して、どうせ何をしても無駄だと投げやりな態度を取ることが「受動的ニヒリズム」である。それは、精神の力が衰退した「疲労のニヒリズム」に他ならない(二三)。

 これに対し、真理の不在を受け止め、既存の価値や意味づけを破壊して、その上で、自分自身の視点に基づく遠近法的な「真理」を、それが仮象に過ぎないことを知りつつ創出していくことが「能動的ニヒリズム」である。

 ニーチェ自身、受動的ニヒリズムについては、キリスト教道徳や仏教的態度を、また、能動的ニヒリズムについては、ドストエフスキーが『悪霊』で描いた世界やアナーキズムなどをイメージしていたとされているが(川原栄峰『ニヒリズム』)、彼自身には、両者を超えて、ニヒルさをさらに徹底させた思想が到来する。


■何も許されてはいない

 そもそも人は、無意味な生をただ単に生きていくことができない。そのため、受動的か能動的かといったことは別として、ニヒリズムにおいても、「多種多様の『真理』があり、したがっていかなる真理もない」(五四〇)といった事態が生まれる。というのも、究極的な価値がもとより不在であっても、だからこそ、人々は、それぞれの立場から、勝手に「真理」なるものを捏造してしまうからである。

 ところがニーチェは、「ニヒリズムの極限的形式」(五五)として、こうした仮象的「真理」のいかなる創出も不可能となるような思想を手にした。それが本稿冒頭でふれた永遠回帰の思想であった。

 永遠回帰について、ニーチェは、最初、デーモンにその内容を告げさせるという演出を行っている。曰く「お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦痛とあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、お前の人生の言いつくせぬ巨細のことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも、何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって」(『悦ばしき知識』信太正三訳)。

 もちろん、世界が永遠に回帰するかどうかなどということは、世界や永遠の外に出ない限り確認することはできない。したがって、永遠回帰の思想とは、何らかの事実認識ではなく、世界をそういうものとして受け止める態度表明に過ぎない。

 しかし、一切が無限に繰り返されるものとして今ここを生きることによって、まずは、過去に味わったすべての嫌悪すべきものがそのまま繰り返され、それらから決して逃れられないことを受け入れることになる。

 あるいはまた、今現在ここでなされる選択は、どれほど自由に行われているように見えても、実は、これまで無数に繰り返されてきたことの再現に他ならず、そこでは、何らの自由選択も行われてはいないことを認めなければならない。

 さらには、未来に向けて語られる夢や希望も、その実現の可否は無限の過去に決まっており、叶えるためになされるいかなる努力や忍耐もまた、結果とは何ら連動することなく、出来事の羅列として繰り返されているだけであることを承認するほかない。

 ということは、ニヒリズムの「一切は許されている」に対して、永遠回帰は、「ただし、何も選ぶことはできない」を付け加えたことになる。すべては繰り返されているだけなのであるから。すなわち、永遠回帰の土俵に乗るとき、人は端的に「何も許されてはいない」ということを思い知らされる。


■「さあ!もう一度!」

 こうした奇怪ともいえる思想によって、ニーチェが人々に求めたのは、現状に対する純粋な肯定であった。

 人が過去の苦悩を避け、現在の選択に迷い、未来に希望を託すのは、そもそも現状に満足していないからである。これに対して、永遠回帰とは、現在を無限の回帰と位置づけることで他の選択肢を徹底的に排除し、現状をそのまま受け入れるしかない地点にまで人々を追いつめる思想であって、「およそ到達しうるかぎりの最高のこの肯定の定式」(『この人を見よ』川原栄峰訳)とも表現されていた。

 そのため、もし、この思想を真摯に受け止めて生きることができるのであれば、そのとき人は、「これが生であったのか?さあ!もう一度!」(『ツァラトゥストラ』第三部二、吉沢伝三郎訳)と宣言するか、もしくは、一切をそのまま「私は欲した」そして「欲するであろう」と語ることになる(同書第三部一二)。

 こうした指摘に続いて彼は、「これのみを救済の名で呼ぶよう、わたしは彼らに教えた」とツァラトゥストラに語らせている。

 たしかに、もし、現実が思い通りになるものであり、すべてが許されているのだとすれば、今ここにある生は、望みえたはずの生の有り様に比べて、あまりにも悲惨としか言いようがない。人々は、「こんなはずではなかった」と現状を呪いながら過去を責め、「もっともっと」と未来に求め続けるだけであり、ルサンチマンから逃れることもできない。

 これに対して、ニーチェは、何も許されてはいない現在を生きることこそが純化された現状肯定をもたらし、さらには、今をそのようなものとして受け入れることができたときにのみ人々は救われると考えた。しかもそれは、たった一つの瞬間でよいとも。

 曰く「私たちの魂がたった一回でも、絃のごとくに、幸福のあまりふるえて響きをたてるなら、このただ一つの生起を条件付けるためには、全永遠が必要であったのであり、また全永遠は、私たちが然りと断言するたった一つの瞬間において、認可され、救済され、是認され、肯定されていたのである」(一〇三二)。それは、<善きこと>が体験される瞬間であった。

 その上で、彼は、無限の繰り返しに過ぎない現在を受け入れ、「何事によらず現にそれがあるのとは違ったふうなあり方であってほしいなどとは決して思わないこと」を「運命愛」と呼ぶに至る(『この人を見よ』)。

 現在をありのままに受け入れ、肯定し、さらには、欲し、そして、愛することが、ニーチェにとっての救済なのであった。


■無邪気に遊ぶ子ども

 それにしても、永遠回帰とは、ニーチェ自身も認めるように、「最も困難な思想」(一〇五九)である。自分の生が全く同じ空間的な配置と時間的な経過のまま、永遠に寸分違わず繰り返されていくとしたら、どうするのか。それは、まさに悪魔の問いであった。

 この思想を受け入れて生きていくための方法やプロセスについて、ニーチェが明確なヴィジョンを持っていたという形跡はない。ただし、一つの手がかりとして、彼は、ツァラトゥストラに、その説話の冒頭で「精神の三つの変化」について語らせていた。

 一つめは、「なんじ、なすべし」に従う「ラクダ」であり、二つめは、「われ欲す」と意欲を示す「獅子」であって、最後が「無邪気そのものであり」「一つの遊戯」「一つの神聖な肯定」である「子ども」であった(第一部一)。

 こうした精神の変化に応じて、永遠回帰の思想に対面した場合には、まず消極的な忍従から始まって、次に積極的な意志へと移り、最後には無垢な遊びに融け込むことになる。そして、たしかに、遊びに没頭する子どもにとっては、魂がふるえる一瞬ですらも不要であり、そこでは、現在が無限の繰り返しであるかどうかなどといった奇妙な問いに思い煩わされることもない。

 しかし、人々が子どもへと変化する道筋が描かれていたわけではなかった。というより、そもそも子どもとは、自分自身の意志によっては「なる」ことができない存在でもある(永井均『これがニーチェだ』)。

 というのも、人は、無邪気になろうとする意志に基づいて、無邪気になるわけではなく、いわば、気が付いたら、結果として、いつのまにか周囲や後先のことを何も考えることなく、ただただ時間が驚くべき早さで過ぎてしまっていただけだからである。そのとき「今」は、凝縮された瞬間でしかなく、そこには、ニヒリズムや永遠回帰といったいかなる思想も付け入る隙がない。

 「一切が許されている」と説くニヒリズムは、生の目的や意味をすべてニヒルの中に投げ込んでしまう。そうしたニヒルさの中で生き抜くためには、「何も許されてはいない」と説く永遠回帰の思想を受け入れ、無意味な生が無限に繰り返されることを、にもかかわらず、そのまま肯定し、欲し、愛することが求められた。

 しかし、愛することもまた、そもそも当為や意欲に基づくものではない。愛すべきだからでもなければ、愛そうと欲するからでもなく、気づいたら愛していたと事後的に見出されるに過ぎない。だからこそ、何の目的も定めず、何の意味づけを求めることもないまま無邪気に遊ぶ子どもが「救済」の最たるイメージとして描かれたのもむべなるかなではあった。


 とはいえ、いかに鮮明なイメージが形作られたとしても、そこに至る過程が見えなければ、救済は宙に浮いたままとなる。しかも、子どもが「なる」ものではなく、「である」ものでしかないとすれば、そもそも里程標を立てることさえも叶わない。

 であれば、救済に向けて、残された考え方は、おそらく一つである。子どもに「なる」ことができないのなら、最初から、人は子ども「である」と考えるしかない。これは、唖然とするほどに緊張感のない思想ではあるが、同時に、一切衆生の往生が無限の過去に無条件で決まったとする熊野権現の託宣を生み出した母胎でもある。