以下の文章は、当事者活動であるセルフヘルプグループに見られる「相互支援の原理」について書いたものです。

 初出は、『保健の科学第44号』(2002)所収の「セルフヘルプ・グループの原理-相互支援原理を中心に-」です。

 

■はじめに

 セルフヘルプ・グループ(Self-help Group:以下SHGと表記)は、メンバーが抱えている問題や課題、グループとしての目的や活動内容、設立経過や規模、専門職との関係など、グループを特色づけるあらゆる側面において多彩な様相を呈しており、一義的に論じることは非常に困難である。しかし、いかに多岐にわたっていようとも、SHGは別名「相互支援グループ(Mutual-aid Group)」とも呼ばれるように、少なくともそこでは対面的な相互支援が行われているという共通性をあげることができる。すなわち、SHGは相互支援の原理に基づいているのである。そこで、以下では、SHG内にみられるメンバー間の「相互的な援助関係」に焦点を当てて、その特質を浮き彫りにしていきたい。

1.ヘルパー=セラピー原則

 一般的にいって、援助関係とは、援助者が何かを与え、クライエントが何かを受け取る関係と思われがちである。だが、たとえば、席をゆずることで何となく気分がよくなったりすることがあるように、援助者もまた、決して与えるだけではなく、何かを受け取っているのではないかと考えることができる。すなわち、援助者には、援助を提供することと引き換えに得られる何らかの利得が存在するのではないかということである。そして、この援助者利得に注目し、その存在を明確に指摘したのが「ヘルパー-セラピー原則」(the helper therapy principle)であった*1*2*3。

 この原則は、「援助をする人が最も援助を受ける」などとも表現されているが、その意味するところは、援助者役割をとることで何らかの利得を享受することができるということである。そして、その利得とは、端的にいえば、自尊心の向上であるといえる。というのも、もともと援助については、暗黙の価値規範として、「他人を助けることは善である」と多くの人が思っており、そのため、援助する側は、他人に援助できる自分は善い人に違いないという自己認知をもつことができ、それに基づいて自尊心を向上させたり、あるいはまた、他人の役に立てるという自己有用感や自己の存在価値感を高めることができるからである。

 こうした援助者利得を過小に評価することはできない。とりわけ、もともと自尊的な感覚が低下していて、自己の存在価値が見いだせないでいるような人にとって、これらの利得は生きる上でのエネルギーにさえなりうるものだからである。そのため、対人援助職が職業として選択される際の動機を無意識的に形成する要因ともなっており、自己の無価値感が強い援助者ほど、援助者利得にとりつかれてしまう危険性も高くなる。

 ここから、自らの生活を投げ打ってまで他人を援助することにのめり込んでしまう「援助嗜癖」や過剰な援助に燃え尽きてしまう「バーンナウト」、あるいは、他人に必要とされることを必要とするがゆえに自立していないパートナーから離れられない「共依存」といった問題群も生み出されている。これらはいずれも、ヘルパー-セラピー原則がその所在を明示した援助者利得の悪魔的な魅力を浮き彫りにしたものなのである。

【文献】

1:1Riessman、F。The "helper" therapy principle。Social Work、10、27-32。1965。

2:Gartner、A。 & Riessma、F。Self-Help in the Human Services。Jossey-Bass Publishers。1977。(アラン・ガートナー、フランク・リースマン著、久保紘章監訳「セルフ・ヘルプ・グループの理論と実際」川島書店、1985)

3:Riessman、F。Restructuring help:A human services paradigm for The 1990s。American Journal of Community Psychology、18(2)、221-230。1990。

2.援助者利得を活用するSHG

 このように援助者役割を取ることによって自尊心が高まるとすれば、逆に、クライエントに位置づけられることは、自分は無力であるという感情を引き起こし、自尊心を傷つけることにもなる。しかし、専門職との関係では援助される側にだけおかれるクライエントも、別の関係性において援助者の立場をとることができれば、そこで得られる援助者利得によって傷ついた自尊心を多少なりとも癒すことができる。

 そして、冒頭にふれたように、SHG内には、メンバー間の「相互的な援助関係」がみられるのであった。すなわち、SHGとは、その相互支援原理によって、援助者利得を各メンバーに配分し、ヘルパー-セラピー原則を最大限活用するような場の一つとして位置づけることができるのである。

 ここで、援助者利得をメンバーに配分するという目標を実現するために最低限必要とされる形式的な条件をあげると、以下の三つに整理することができる。

 1:同一もしくは類似の問題をかかえる当事者によって構成されていること。

2:グループの運営に関わる意志決定は民主的になされ、かつ、メンバーがその主導権を確保していること。

 3:メンバーは、自発的な意志によって参加していること。

 これらの形式的条件は、いずれもそれぞれの関係性において「上下関係」を排除するためのものである。というのも、もともと通常の援助関係は、援助する側とされる側との非対称性を固定化した関係性と捉えられるが、援助者利得を相互に配分するためには、可能な限り非対称的な上下関係を固定化させないことが必要となるからである。

 まず、条件1は、グループメンバーの資格を通してメンバー間の関係性を表している。同一もしくは類似の問題をかかえていることがメンバーの資格である。これによって、もちろん形式的にではあるが、その問題を抱えているという点で同等の立場がメンバーに保証され、メンバー間での上下関係を排することができる。

 また、条件2は、グループの運営方法を通してグループと外部(非メンバー)との関係性を表している。グループ運営の主導権をメンバーが握るという条件は、非メンバーによる操作を排除することである。というのも、グループ内部での上下関係をいくら相対化しても、グループ運営が外部の意向によって左右されたり、外部からの承認によって維持されているようでは、グループ全体が上下関係に組み込まれていることになるからである。

 さらに、条件3のグループへの自発的参加および脱退の自由は、メンバーとグループとの関係性を表している。万が一この条件が前提されていないと、強制的な参加というものが想定されることになり、グループそのものが各メンバーに対して権威的に上位に立つことになってしまう。

 SHGは、これらの形式的条件を守ることによって、メンバー間の相互支援が生じやすくなる環境を作り出している。相互的な援助関係とは、メンバー間で援助をする側とされる側との入れ替わりを発生させ、援助を双方向的あるいは多方向的なものにすることである。そうした関係を作り出すことによって、専門職との一方向的関係では、被援助者の役割しかとり得なかったメンバーも、グループ内では援助する側の立場に立つこともでき、ヘルパー-セラピー原則を自然と活用することが可能となるのである。

3.ヘルパー-セラピー原則の逆説性

 こうしてSHGは、内部に発生する援助関係を多方向化することによって援助者利得を配分し、ヘルパー-セラピー原則を最大限に活用するための構造を実現している。ところが一方で、リースマンも示唆しているように、この原則は非常に逆説的な原則でもある1)。というのも、ヘルパー-セラピー原則は、本人が意図的に行うよりも、無意識の内に遂行された方がより効果的であるという特性をもっているからである。

 とりわけ、SHGのように、メンバー間の対等性を前提とする関係性において、誰かが援助者利得を求めて援助者の役割をとろうとすることは、その前提をこわすことに他ならないが、にもかかわらず、そうした意図を前面に押し出すと、援助される側にとっては、援助の押し売りあるいは「大きなお世話」にもなってしまう。そのため、援助そのものが受け入れられず、援助者役割もとれずに利得を得ることもできなくなる。つまり、この原則を用いて援助者が利得を受け癒されるのは、あくまでも結果としてであって、自らの癒しを求めてこの原則を意図的に用いても効果をあげることは困難なのである。

 このように、ヘルパー-セラピー原則は、いかなる状況においても確実に発動するような強靱さをそもそも持ち合わせていない。たしかに、この原則は、援助者役割をとる者の自尊心が高まることを明示しているものではあるが、同時に、それは、本人が意図せざる場合において、最大限の効果が事後に見出されるという逆説に基づいている。

 したがって、少なくとも、メンバー間の対等性を前提とするSHGでは、ヘルパー-セラピー原則の活用を目的として掲げながらグループを運営するということはできない。この原則は、目的として位置づけられればその実現が不能となり、目的として意識されない場合に結果として実現可能となるような逆説的で脆弱な原則だからである。

 ここから、この原則を最大限に活用するためには、メンバー間の相互支援を表立った活動としては位置づけないようにしなければならないということになる。すなわち、実際にはさまざまなレベルでのメンバー同士による相互援助活動が行われているとしても、それを活動目標として掲げるようなことは控えなければならないのである。そのため、たとえばAAをはじめとするアノニマス・グループでは、ミーティングの基本ルールを「言い放し聞き放し」と定め、少なくともミーティング内においては、メンバー同士の相互援助を封印することにしている。

 いずれにせよ、ヘルパー-セラピー原則とは、逆説的な原則であり、だからこそ、非常に脆弱な原則であるということができる。だが、だとすれば、この原則を活用する相互支援原理もまた脆弱さを抱え込み、さらには、こうした原理に基づいているSHG自体も非常に脆弱なグループに過ぎないということになるのであろうか。

4.SHGの脆弱性と柔軟性

 たしかに、相互支援原理といっても、実際には、特定のメンバーが援助者役割をとり続けようとし、擬似専門援助者の立場を求めて他のメンバーに干渉的な関与をし始めたり、あるいは、能力や経験・知識等の格差によってメンバー間においても援助者役割が自然と固定されてしまう場合も決して少なくはない。

 このように、相互的な援助関係を発生させ維持していくことは、現実的に言えば、決して容易なことではなく、そもそも原理などと呼ばれるほどに強固な普遍性を有しているとはいえない。また、たとえ上述した三つの形式的条件が遵守されていたとしても、それらはあくまで最低限の必要条件に過ぎないのであって、十分条件などではない。つまり、そこからただちに相互支援原理の実現が保証されているというわけではないのである。

 ということは、実現できるかどうかもわからぬ相互支援を原理として構成されるSHGそのものもまた、非常に脆弱な存在に過ぎないと断定してよいことになる。SHGとは、あまりの脆弱さにいつ消滅してしまっても不思議ではないような存在なのである。

 とはいえ、このようにSHGが脆弱であるのは、そもそもSHGが、すでにある程度確立されて一定の強固さを得ているようなサービス・システムでは対処できない、あるいは、省みられることのなかった問題群に対応しようとするものだからであるともいえる。SHGに集うメンバー一人一人は、もともと脆さや弱さを抱え込んでおり、それらは既存の安定的なサービスでは対処しきれないものであった。だからこそ、そうした人々は互いに互いを支え合うしかなかったのであり、たとえ脆弱であったとしても相互支援を原理としてSHGを形成するしかなかったのである。

 したがって、SHGは、決して強固なシステムであるなどとはいえないし、社会の中では傍流にとどまり続けるような弱くて脆い存在に過ぎないことになる。だが、たとえどれほど脆弱であっても、あるいは、脆弱だからこそ、人々が希求することに対して柔軟に対応してきたということも事実である。なぜなら、そもそもシステムとは、強固で安定的になるほどに硬直化し、状況に対応する柔軟性を失ってしまうものだからである。

 だとすれば、SHGとは、あえて脆弱であり続けることと引き換えに、柔軟さを確保しようとするきわめてきわどい試みであるとも考えられる。脆弱性は、もちろんそれだけを取り出せば危うい短所でしかないようにもみえる。だが、安定的な強さが硬直化につながる危険性を内包しているのだとすれば、不安定な脆弱さを抱え込みながらも、それによって柔軟性を軽やかに維持していくことは、既存の重厚なシステムにはみられない長所であるともいえる。まさに、脆弱であることとは、しなやかさというSHGがもつたとえようのない魅力を根底で支えている基盤に他ならないのである。

おわりに

 本稿は、あくまで相互支援原理に焦点を当て、ヘルパー-セラピー原則の逆説性を手がかりにSHGの特質を脆弱性として記述したものに過ぎない。SHGの機能がこうした原則の活用だけにあるわけではないし、SHGの原理が相互支援につきるというわけでもない。だが、たしかにSHGには、いけないとわかっていても思わず手を出してしまいたくなるほどに脆く危うい雰囲気が漂っていることも散見される。支援者としてSHGに関わることには、相当の禁欲さと「待つ姿勢」が求められる所以でもある。

 そして、SHGのメンバーのみならず、私たちもまた、程度の差はあれ誰もが脆弱さを抱えているものである。メンバーになるかどうかは、そうした現実を看過したり隠蔽できるか、あるいは正面から対峙せざるをえないかの違いに過ぎないともいえる。SHGの周辺に佇んでいると、自分自身に問いが投げ返されることも少なくない。おそらく、SHGとは、人間がそもそもどうしようもなく脆弱であり、それを超克することなど決してできないという峻厳な現実を裏面から照射しているような存在なのだろうとも思われる。