あらゆる二項対立を解消する不二の思想に基づけば、そこは、たしかに際限のない許しに覆われる。しかし、そこでは、善悪の区別も消滅してすべてが許され、人々から生きるための指針が根こそぎ奪われて、「何をしても/しなくてもよい」といった不毛の地が広がる。

 とはいえ、人々は、ただ立ちすくんでいるわけにはいかない。たとえ根拠が失われた中でも、何かを選ばなければ、生きてはいけないからである。

 では、すべてが許されるとき、人々は、一体何をどのように選ぼうとするのだろうか。

 この問いについて、平安鎌倉のように、人々が生きることに必死であった時代には、それほど突き詰めて考えられたことがなかった。そこで今回は、はるか後年、豊かさを享受し始めた時代における指針のない生の有り様について、その一端を見ておくことにする。


■「自分で自分を赦したい」

 際限のない許しが不毛の地をもたらすだけであることを、すなわち、すべてが許されていると思い込んだ人間の生が悲劇でしかないことを、繰り返し描いた一人がドストエフスキーであった。

 『罪と罰』のラスコーリニコフはもちろんのこと、たとえば、『悪霊』に描かれるスタヴローギンもまた、知力・体力共に人並みはずれていただけでなく、美しく端正な顔立ちで人々を魅了し、崇拝の念をすら呼び起こすほどであったにもかかわらず、「告白」の章によると、「善悪の別を知りもしないし、感じてもいない男」(江川卓訳、以下同)と自分で自分を定義するほどに空虚な内面を抱えていた。

 そんな彼にとって、生きていくことは、「気が狂いそうなほど退屈なこと」であって、そのため、ただの冗談のつもりで、同じアパートに住む家族持ちの貧乏な小役人から、一ヶ月分の俸給を丸々盗み取ったり、あるいは、さしたる動機もないまま、アパートの隣室に住む大家の娘マトリョーシャを誘惑し、辱めて自殺へと追いやった。

 さらには、自分の人生を滅茶苦茶にしてやりたいといった考えにとりつかれ、アパートで女中代わりのようなことをしていた「最低の女と結婚するという思いつき」に対して、ただそれ以上に醜悪なことを考えつかないという理由で実行したりもした。まさに、彼にとっては、すべてが許されているのであった。

 このように善悪の差異を摩滅させ、行く手を阻むものなしと傲慢を極めたスタヴローギンであったが、旅先にて思いがけずに見た夢の中で、三千年前の地上の楽園を体感し、生涯で初めて「幸福の実感」に痛いほど刺しつらぬかれた。いわば、平板で退屈な生に、<善きこと>が突如乱入し、彼の中に大切にすべき何かを生み出したようであった。

 そして、目が覚めた後にはマトリョーシャの幻が現れるようになり、以来彼は、良心の呵責からか、毎日のように彼女の幻覚を自分で呼び出さずにはいられなくなる。

 その後は、丸一年放浪の生活を送ったが、結局、これまでの行いを文書にして三百部印刷し、警察や当局、新聞や知人たちに配布するつもりで故郷の街に戻った。

 帰ってきた彼は、まず最初、修道院に隠棲する僧正に、告白文書を手渡して読んでくれるように頼んだ。じっくり目を通した僧正は、露悪の醜さが目にあまると責めたが、スタヴローギンは、他人に同情され許されるぐらいなら、侮蔑され憎悪されることを求めると食い下がり、最後には、「ぼくは自分で自分を赦したい。これがぼくの最大の目的、目的のすべてなのです」と口走るに至る。

 彼は、自分で自分が許せたときにのみマトリョーシャの幻が消えること、そのためには無際限の苦しみを自分で求めなければならないこと、そうしなければ破滅してしまうと思い込んでいた。逆に言えば、自分以外の他者に許しを乞うことなしに、すなわち、誰かに許してもらうという受動の契機を経ることなしには、許しそのものが成り立ちえないということを認めることができなかったのである。

 そのため、「最後の瞬間まで意識が明晰に保たれていたこと」を見せつけながら、自ら命を絶つしかなかった。


■「もし永遠の神がないなら」

 あるいはまた、『カラマーゾフの兄弟』では、「すべてが許されている」という思想を支えにして生きた人間も描かれている。

 カラマーゾフ家の召使いで、コックとして働くスメルジャコフは、少年時代には猫を縛り首にした上で、その葬式を自らとりおこなうのが大好きという奇癖の持ち主であった。さらに、長じてからも、パンにピンを埋め込み、空腹のあまり丸呑みするような番犬にそれを投げ与え、苦しんでいる犬を見ては楽しむといった陰湿ないたずらを好んだ。

 そんなスメルジャコフに、カラマーゾフ家の次男イワンが一つの教えを説いた。曰く「もし永遠の神がないなら、いかなる善行も存在しないし、それにそんなものはまったく必要がない」、そして「すべては許される」と(原卓也訳、以下同)。

 自分を突き動かす残忍な性向に、自らが許されざる存在なのではないかといった後ろめたさを覚え始めていたスメルジャコフにとって、もし神さえいなければ、裁きなるものはどこにもなく、すべては許されるという思想がどれほどの救いになったかは想像に難くない。だからこそ、彼は、この教えそのものを信奉し、また、これを授けてくれたイワンに心酔した。

 そんなスメルジャコフがイワンの望むところを勝手に酌み取り、その願いを叶えるべく、自らの主人でもあるイワンの父親を殺害した。しかし、事件の真相を聞いたイワンは、自分の願望などではないと否定しただけでなく、スメルジャコフに出頭するよう求めた。スメルジャコフにとって、それは根本的な裏切りでしかなかった。

 これに先立ち、イワンは、スメルジャコフを訪れる途中で、本格的な吹雪の中、酔っ払いの男がぶつかってきたため突き飛ばし、相手が凍り付いた地面に倒れて意識を失ったにもかかわらず、見捨てるかのように何もせずその場を去っている。しかし、スメルジャコフに出頭を求めた帰り道では、倒れたままだった男を近くの家に担ぎ込み、経費を負担するとともに時間を費やして助け、自らの善行に満足を覚えている。

 ところが、そうした行いを偽善として嘲笑するかのように、自室に戻ったイワンの前に、いつしか一人の紳士が座っていた。イワン自身が創り出した悪魔の幻覚であった。そして、悪魔は、からかい面で「すべては許される」という思想を雄弁に説き始めた。聞くに耐えられず、イワンは、コップを幻覚に投げつけた。そのとき、窓枠を執拗にノックする音が響いた。スメルジャコフが縊首したとの知らせが届いた。


■天上のパンと地上のパン

 すべてが許され、善悪がその対立を摩耗させた平板な地においては、人の生そのものがおよそ簡単に意味を失ってしまう。だとすれば、あえて許されざることを明示しておく必要があるのではないかとも考えられる。

 この問題については、すでに「大審問官」の章において、一つの方向性が示されていた。『カラマーゾフの兄弟』の中でも、識者によって言及されることの多い章であるが、イワンが弟アリョーシャに叙事詩として語る物語が中心になっている。

 物語の舞台は、一五世紀のセヴィリア。異端審問によって、百人にもおよぶ異端者たちが住民たちの前で焚刑に処せられた。その翌日、突然キリスト本人が街にそっと姿を現す。誰もがすぐさま正体を見破り、取り囲み、静かに付き従う。彼が祝福を与えると、闇の中にいた老人の目が見えるようになり、柩に横たわっていた少女が起き上がった。

 そのとき九〇歳近い大審問官が通りかかり、顔を曇らせると、護衛にキリストを捕まえさせ、牢に入れた。二人っきりになると、大審問官は、一言も言葉を発しないキリストに対して、邪魔をするなと責め立て、長い独白を続けた。

 キリストに対する抗議は、まず「人はパンのみにて生きるにあらず」(マタイ伝)に向けられた。大審問官は、その問題点を「天上のパン」と「地上のパン」との対比によって整理する。地上のパンとは、キリストが退けた動物的な生存の条件であり、天上のパンとは、人間的な精神の自由を意味する。彼がキリストに投げつけたのは、この二つのパンの一体どちらがどれほど大切なのかという問いであった。

 もちろん、キリストの教えは、地上のパンを最小に、天上のパンを最大にあるいは無限大に、ということである。そして、大審問官もまた、キリストの主張を完全に認める。それは、崇高なほどに正しい。

 とはいえ、そう認めた上で大審問官は問い直す。それはあくまでも、「選ばれた者」たち、「偉大な力強い人間」たちにのみ許される一つの理想に過ぎないのではないのか、「天上のパンのために地上のパンを黙殺することのできない」数知れない人間たちは、どうすればいいのか、と。

 さらにまた、キリストは、人々が「奇蹟」や「神秘」を畏怖したり、「権威」に服従するのではなく、自らの自由な愛や信仰によって、彼の後に続くことを求めた。

 しかし、と大審問官は言う。それによって、人間は、「何が善であり何が悪であるかを、自由な心でみずから決めなければ」ならなくなるが、それは結局、人間に「自由の苦痛という重荷」を背負わせただけではないのか、と。

 こうして大審問官は、「かよわい、永遠に汚れた、永遠に卑しい」無数の人々をこそ救うために、キリストへの従順さを装いつつ、悪魔に付き従い、地上のパンを与えながら、奇蹟や神秘をちらつかせ、さらには、その罪を許してやることによって、人々を教会の権威に従わせ、彼ら自身のことについて決定を下していった。

 というのも、教会の下す決定こそが、「個人の自由な決定という現在の恐ろしい苦しみや、たいへんな苦労から、彼らを解放してくれる」ものだからである。大審問官は、キリストの名の下で「善悪の認識という呪い」をわが身に引き受け、異端という許されざることを人々に示していった。


■「許されている」以前へ

 すべてが許されるとき、人々は、自由という重荷を背負い、混乱と苦しみの中に投げ込まれる。だからこそ、誰かが許されざることを示すことによって、「人間の自由を支配すべき」だということになる。だが、それは、神の席に座ることにも等しい。

 もともとロシア正教における神は、カトリックのように絶対的な他性として知的に思惟されるものではなく、「人と交わりをもつ神」(高橋保行『ギリシャ正教』)として体験的に捉えられるものであるため、より身近な存在であるとはいえる。

 だが、それでもやはり、神になることの重みは、人に耐えうるはずのないものであった。誇り高きイワンの精神は、一度は大審問官に強気の思想を語らせはしたものの、自らが生み出した悪魔との閉じられた対話に入り込むしかなかった。

 後年、サルトルは、ドストエフスキーの「すべてが許されている」を実存主義の出発点と位置づけ、「人間は自由の刑に処せられている」と軽やかに宣言した。

 さらに、大審問官が人々に対して弄した策は、羊たちのために献身することで群れの一頭一頭をケアしながら支配していく、フーコーの「牧人=司祭型(パストラル)権力」をただちに連想させる。

 あるいは、神なき世界には裁きがないからすべてが許されると考える「永遠の幼児」に対し、不在の神になお信をおく「成熟した大人」の生き方を倫理の根幹に定置させようとしたのはレヴィナスであった。

 このように「すべてが許されている」は、いくつかの観点から今なお向き合うに値する思想ではある。だが、これら「自由」「権力」「倫理」といった個別のテーマにとどまらず、この思想は、より一般的な「思想」そのものの最奥部に素喰う問題とも繋がっている。

 そのことは、たとえば「何も許されてはいない」といった正反対の思想と比較することによって、さらには、許されているかどうかに関わらず、それ以前に、ありのままを全面肯定するような思想と対比することによって、より浮き彫りにされる。


 ただし、「すべてが許されている」はもちろんのこと、比較対象となるこれらの思想においても、やはり援助は、自らの依って立つ基盤を見出すことができないのであるが。