『福祉の論理:「かけがえのなさ」が生まれるところ』(誠信書房 2022)の「はじめに」です。内容の概要を説明しています。

 

 

●福祉の論理式

 本書は、福祉の論理を探し求めていくものです。

 「福祉」と「論理」とは、いかにも不自然な、あるいは、ありそうもない組み合わせにみえます。「福祉がどのような論理に基づいて行われているのか」などという問いそのものに、強い違和感を覚えるかもしれません。というのも、福祉とは、理屈ではなく、ハートで行われるものだというイメージが一般的だからです。そのため、福祉について論理を語るなどお笑いぐさにすぎないと思われてもしかたありません。

 とはいえ、福祉が何の論理にも基づくことなく、行き当たりばったりで行われているのかといえば、そんなことはありません。百歩譲って、ハートで行われているのだとしても、ハートにも一定の論理があるからです。

 ただし、その論理は、たしかにかなり奇妙です。

 

 A=非A「Aイコール非A」(AはAではない)

 

 これが本書で終盤に提示する福祉の論理式です。

 一見すると、こんな式は、なり立つはずもないと思われるかもしれません。あるいは、そもそもこんなものを論理などと呼んでいいのかという疑問も浮かびます。というのも、わたしたちは、普段から「AはAである(A=A:花は花である)」といった論理があたり前だと思っているからです。

 そのため、こうした常識に真っ向から反する、「AはAではない(花は花ではない)」などという式がなり立つことはありえないと思ってしまいます。

そして、実際、この式が現実において自然になり立っているなどということはありません。

 現実では、花は花であり、犬は犬です。それ以外の何ものでもないからです。ところが、わたしたちは、そんな現実と向きあう際に、この奇妙な式をなり立たせることができます。というより、実際になり立たせながら日々の暮らしをいとなんでいます。

 たとえば、わたしたちは、花は花ではなくこころのこもった愛情のあかしとして受けとめ、犬は犬ではなくかけがえのない家族の一員として接することがあります。たしかに、この式が現実において勝手になり立つようなことはありません。しかし、わたしたちは、この式をいつでもなり立たせることができます。さらにいえば、わたしたちは、この式をなり立たせることによって現実を生きています。

 

 そして、これからみていくように、福祉と呼ばれている活動や働きかけは、この式を出発点としてはじまります。

 また、福祉だけにとどまらず、後でもふれますが、たとえば、生まれたばかりの赤ん坊をいとおしむとき、あるいは、贈りものをいただいてお返しをするとき、さらには、亡くなった人をていねいに弔って葬送するときなど、あまりにもあたり前のこととして何ら気にすることのないようなことについても、わたしたちはこの式をなり立たせながら行っています。

 反対に、もし、この式をなり立たせることがなければ、わたしたちにとって、赤ん坊はただの厄介者にすぎず、人に贈りものをしたり、お返しをしたりしようなどと思うこともなくなってしまいます。

 そして、最終章でのべるように、自分自身や家族をはじめとする周囲の人々について、ほかの誰とも決してとりかえることのできない「かけがえのなさ」を感じることがあるとすれば、そのときにも、わたしたちは、この式をなり立たせています。

 逆にいえば、この式は、わたしたちにとっての「かけがえのなさ」が生まれるところをあらわしているのです。

 

●福祉のイメージ

 さて、本書が取りあげる「福祉」とは、誰にも耳慣れたことばですが、あらためて「福祉って何?」と聞かれると、何となくわかっているものの、すぐにはっきりとした答えが浮かんでくるわけではありません。このように、福祉について、ことばで説明することは少しむずかしく感じられますが、とはいえ、何のイメージもわかないなどということもありません。

 たとえば、誰かが、高齢者のかたわらに座って食べ物を口へ運んでいるところとか、車イスを押しながら乗っている人と談笑しているところとか、あるいは、おそろいの帽子をかぶった幼い子どもたちが公園で遊んでいるのを見守っているところなど、実際にみかけることも少なくないでしょう。

 いずれにしても、福祉ということばを聞くと、わたしたちは、何らかのイメージをいくつか思い浮かべることができます。それらは、日々の暮らしの中で、何の違和感を覚えることもないありきたりの活動やふるまいであるといえます。ところが、では、こうしたふるまいに共通しているのは何なのだろうかと考えてみると、やはりことばにつまってしまいます。

 たしかに、福祉をめぐっては、さまざまなイメージをつくることができます。しかし、福祉という名の下で浮かんでくるイメージに共通しているのはどのようなことなのかと問うてみると、何となくわかっているような、しかし、やはりことばにならなくて、もどかしさを感じるばかりです。

 本書は、福祉と呼ばれている人々の活動やふるまいのさまざまな場面において、どのようなルールがはたらいているのかといったことを検討しながら、論理のレベルでその共通性をあきらかにしようとするものです。

 ただし、本書では、福祉を定義づけるようなことは行いません。反対に、そもそも福祉を一つに語ることなどできないということを前提としています。

そのため以下では、角度を変えながら、次から次へと、「福祉とは、・・・」といいかえていくことになります。その上で、それらの最奥で作動している論理をあぶりだそうというわけです。

 

●福祉と「社会福祉」

 ここで、あらかじめ確認しておきますが、一般にいわれる「社会福祉」は、高齢者や障がいのある方をはじめ、子どもたちや生活に困っている方などが利用できるように定められたさまざまな制度やそれに基づくサービスといった仕組みを総称することばです。その対象となる範囲は、拡大の一途をたどり、多岐にわたる分野をカバーしていて、その全体像をつぶさに見渡すことが容易ではないほどに複雑です。

 それに対して、本書が用いる「福祉」は、もっと素朴なことばです。そこには、困っている人に手をさしのべるといった何気ない行いや気づかいも含まれています。すなわち、必ずしも社会的に定められた制度やサービスに限られるのではなく、その手前のありふれた働きかけやふるまいにも焦点をあてています。

 そのため、以下では、社会的な制度やそれに基づいて行われているサービス活動については、あえてカッコつきで「社会福祉」と表記することにします。

本書で取りあげる福祉は、制度に基づく「社会福祉」だけでなく、人が人を助けるといったどこにでもある素朴で身近なふるまいをも含むあいまいで幅広いことばです。

 

●本書の構成 

 本書は、まず、このように漠然とした福祉について、そうしたふるまいが開始される出発点を見定めることからはじめます。(第1章)。

 次に、その出発点において、わたしたちがどのような基本方針にしたがってふるまったり働きかけたりしているのかといったことを検討し(第2章)、そこには二つのルールが作動していることを確認します(第3章)。

 その上で、それぞれのルールがかかえている特徴や問題点などを整理します(第4・5章)。

 さらに、これら二つのルールがバランスを失うとき、わたしたちの生き方に対してどのような影響を及ぼし(第6章)、あるいは、どのような考え方が生まれてくるのかといったことをみていきます(第7章)。

 そして、ルールに基づく人々の動きに焦点をあてながら、そこで生じる変化を記号であらわし(第8章)、全く異なる領域においても同様の変換が行われていることをたしかめます(第9章)。

 また、二つのルールをあらわす変換式について、それらをさらに根底でなり立たせている基本の論理を見定めます(第10章)。

 それが、冒頭でふれた「A=A」と「A=非A」という正反対の論理です。

その上で、論理の中身を意味一般へと拡張し、意味の論理について構築することを試みます(第11章)。

 最後には、福祉の論理である「A=非A」に基づくことによって、わたしたち一人ひとりにとっての「かけがえのなさ」という意味が生まれてくることをみていきます(第12章)。

 

●非合理の論理学

 このような流れで論が展開していくため、実証的な根拠であるエビデンスに基づいて論じることが重視される昨今の風潮からすれば、稚拙な空論にすぎないようにもみえます。

 しかし、ここで探求していく論理は、そうした根拠となる事実そのものが生み出されてくる地点において作動しているものであって、事実をなり立たせているものであるため、事実を重ねていくことでとらえるなどということができず、一定の前提を立てた上で、そこから論証をつみ上げることによって探っていくしかないのです。

 そのため、本書では、帰納的な社会科学ではほとんど用いられることのない、演繹的に論理をつみ上げていくアプローチが採用されています。

 また、たどりつく先が「A=非A」などという理にあわない論理式になりますので、本書は、いわば「非合理の論理学」ということになります。

 

 そして、現在でも福祉の論理が作動していることは気づかれにくいものなのですが、今問題なのは、この論理を別の論理におきかえてしまおうとする傾向がますます強くなっており、福祉の論理がいよいよみえにくくなりつつあるということです。

 とはいえ、もし、福祉の論理を見失ってしまうようなことになれば、わたしたちの生は、酸鼻をきわめたものになってしまいます。

 だからこそ、福祉の論理をめぐっては、わたしたちが暮らしの中でそれをいかになり立たせてきたのかということについて、今一度、確認しておくことが必要になっているのです。

 

 まずは、福祉についての素朴なイメージを手がかりとしてはじめていきます。